こんばんは~!
明日からトルコ一人旅で8日間不在にしますので、
ブログの更新もお休みします。
帰ってきたら、またSAIで練習したいな~。

しばらく不在になるのもあり、超長文の感想録をアップしときます。
※感想録は、この次の「復活編」までで、そのあとはまだ書いていません。
(イラストはほとんど下書きまでは書いているのですが)


気まぐれに続きを書くかもしれないのですが、
4月から社畜になると予想しているので(泣)、未定です。

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【火の鳥】の第5作目は、文句なしに『最高傑作』と言われる「鳳凰編」。

私も、この「鳳凰編」が一番好きなんですよね。

(めちゃくちゃ長いので、興味ない方は是非読み飛ばしてください……)



好きというよりも、魂を直に揺さぶられると感覚がする、

と表現するほうが正しいかもしれません。



この作品で、人間の善と悪ほど曖昧なものはないということがわかります。

悪の限りを尽くした我王と、夢と善意に満ち溢れた茜丸、

2人の仏師の善悪の立ち位置が入れ替わっていく様は、まさに見事!!




前置きが長くなってしまいましたが、あらすじは角川文庫版からの引用です↓



・初出:『COM』(1969年8月号から1970年9月号)



奈良時代。

生まれたその日に片腕を失った我王。その我王に腕を切られた茜丸。

十五年後、仏師として血のにじむ修行を積んだ二人に、宿命の対決の時が来た。

都の帝から東大寺の鬼瓦の競作を命ぜられたのだ。

やがて、鬼気迫る二人の作品が完成するが…。



愛を渇望し、自らに打ち克とうとする仏師の極限の苦闘を描く。


手塚先生はよく「ヒューマニズム」を描く漫画家だと言われますが、

この作品では単純な勧善懲悪の否定だけでなく、人間の醜い本質をえぐり出し、

『善悪は流転する』ということを訴えています。


2009年の10/2
放送の【週間 手塚治虫】で、ゲストの小説家・夢枕獏さんが

「人間の中には善と悪の両方が存在する」と言われていました。

また、「創作に携わっている人は、恐らくこの鳳凰編が一番好きだと思う」とも

おっしゃられていたような気がします。


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絶望、苦しみ、憎悪……そんなやりきれない思いを昇華させるために

ひたすら仏を彫って彫って彫りまくる我王。

結果的にそれが人々に感謝され、認められていくことに繋がっていく。


一方の茜丸は、我王に利き腕である右腕を切られながらも

我王を恨むことなく、のみを持つ手を左手に変え、仏を彫り続けるが、

やがて「芸術家としての名誉」に慢心し、悪の心に染まっていく……。


私自分も、自身の「アイデンティティの確立」のために絵を描いていたり、
正直いうと絵で褒められたい気持ちがあったりもするので、

この2人のどちらにも感情移入してしまいます。


とは言っても、やっぱり我王が好きだな~。

(黎明編の猿田彦以来、すっかりオッサン萌えに……)


不完全な身体というだけで嫌われ、周りに陥れられ、

その憎しみや怒りを殺戮や略奪という行為で晴らしていく我王は

見ていて痛々しく、同時に愛おしくもあります。



そんな失意のどん底の我王の前に現れる美しい女性、速魚(はやめ)。

腕を切られた茜丸の妹だと言って、結局我王に手篭めにされてしまうのですが

この2人はもう切なくて切なくて……哀しすぎます。


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我王は、鼻がブクブクと醜く腫れ上がる病気になってしまう。

それを治そうと、速魚は自作の薬を調合し、我王の鼻に塗り続けます。

 


しかし、「あの女は介抱するふりをして毒をすりこんでいたんですぜ」と

バカな手下が勝手に変な誤解を招くようなことをいうもんだから、

激昂した我王は速魚を斬り殺してしまうんですね~ω;`)


事切れる寸前、速魚は真実を告げます。

「わたしは……いつだったかお前に命を助けられたものです………」

おまえは本当は心の優しい いい人だと思った、

ずっといっしょにしあわせにくらしたかった……


速魚が消えると、そこには一匹のテントウムシの死骸が。

彼女は、冒頭12ページ目で、逃亡中の我王がそっと花に移してあげた

テントウムシだったんです!!この伏線にはビックリ!!

 

「あああああああ」と叫ぶ我王の姿が不思議な文様となっていて印象的。

「鳳凰編」は、惹きつけられるコマが非常に多くって、

それ単体で一枚の「絵」になるものばかりです。



我王が濡れ衣で牢に閉じ込められたとき、暗闇の中に浮かぶ

「我王……がんばって……死なないでよ…………」と励ます

速魚の幻覚が涙を誘うんですよね……ウウッ。



あぁ、何だか我王のことばっかり…
下にまだまだ続きます。こりゃもう過去最長だよ!!





濡れ衣が晴れて解放されるまで、なんと二年もの時が経っていました。

その間、我王は暗い牢の中で、割った碗を使って仏を彫り続けていたのです。



自分に仏師の道を示してくれた良弁和尚が即身仏となったことを聞きつけ、

シイタケの陰干しのようなミイラとなった恩師を目の当たりにする我王。



ここから我王は一気に悟りを開いていくのですが、

ちょっと私にはその悟りへの考えの推移が理解できないままなのです。

自分の読みが浅いからわからないのか、

そもそも行間を読み取ることが出来ないのか、ちょっと流れを確認したい。




1.即身仏となった良弁と蜘蛛の巣に絡め取られた蝶を見て、

「虫魚禽獣死ねば…どれもみんなおなじ!

人が仏になるなら…生きとし生けるものはみんな仏だ!」


2.そこに火の鳥の幻が出現。

「生きる?死ぬ?それがなんだというんだ

宇宙のなかに人生などいっさい無だ!ちっぽけなごみなのだ!」


3.それから3年…我王は乞われるままに仏像や鬼瓦を作り続ける。


4.その腕を変われた結果、都に呼ばれ、因縁の茜丸と鬼瓦作り対決。


5.誰の目にもが我王の勝利は明らかだったが、

負けそうになった茜丸が15年前に腕を切られた話を急に持ち出し、

聖職を汚れた身で穢した罰として、我王はもう一方の手を切り落とされる。


6.東大寺正倉院に安置された我王の鬼瓦から発火→大火災に。

 自分の作った大仏殿を守るため、火の中に飛び込んで茜丸が死亡。


7.美しい朝日を見て涙を流す我王。

「なぜこんなに天地は美しいのだろう…

そうだここでは何もかも………生きているからだ」

8.「都の人間たちは、みんな死んだ魚のように目がうつろだった(意訳)

良弁さま、あなたがなぜこの世から逃げてしまわれたのかわかります」

「だがおれは死にませんぞ おれは生きるだけ生きて……

世の中の人間を生き返らせてみたい気もするのです」




すべての命は宇宙の中のごみに過ぎないと悟った我王が

なぜ人々の救済のために生き続けようと考えたのか、

……ちょっと良く分からないのです。



自分だったら、自暴自棄にならないかな~とか。

みんな所詮ごみなのだから、好きなことだけやって生きていこうとするとか。



作品の読み込みが足りないのかな……?

気が向いたとき、もう一回きちんと読んでみようと思います。



なんて言いながら、「鳳凰編」が一番好きなのには変わりないんですよね。

細部までの読み込みが足りなくても何となく凄さがわかってしまう

【火の鳥】は、やっぱり偉大な作品です!!